ポテチおいしい

 割とポテチが好きだ。最近よく週末に食べている。割高だとわかっているけどコンビニで新発売の炭酸と一緒に買ったりする。そのままでも十分おいしいけどやっぱり炭酸と一緒だとよりおいしい。食べたら無くなるのが欠点だ。

 昔はコンソメとかが好きだったけど、カルビーのしあわせバタ〜味(ポテトチップス しあわせバタ~|カルビー (calbee.co.jp))のおいしさに気づいてから最近はもっぱら甘じょっぱ系を食べている。ポテチの甘じょっぱ系というジャンル(?)、新興のジャンル(?)だからか割といろんなフレーバーがあって非常におもしろい。

 そんな中で一番ハマったのがファミマのコクうまポテトハニーバター味(コクうまポテトハニーバター味 |商品情報|ファミリーマート (family.co.jp))だ。正確にいうとポテチ…ではない…?のかもしれないが、似たようなものだと思うから独断と偏見でポテチとする。

 とかくこのコクうまポテトハニーバター味、甘じょっぱのバランスが私にとって絶妙だった。一口食べてえ!?うま!?と運命の出会いを確信してしまったのである。小袋に入ってるからという点もあるけど、いつの間にかなくなっている。おかしとしては丁度いい量だが、いつも2袋買うか迷ってしまう。おいしい…おいしい…

 おっきい袋に入ったコクうまポテトハニーバター味が食べたい…コクうまポテトハニーバター味をたくさん味わいたい……と地味に願っていたのだが、そんな願いが叶う前にいつの間にかコクうまポテトハニーバター味は近所のファミマから姿を消していた。なぜ!?う、嘘だよ…こんなの…

 悲しいと言えば悲しいが店員さんに「コクうまポテトハニーバター味どうしたんですか!?」と問い合わせる勇気も「コクうまポテトハニーバター味があるファミマを見つけるまで帰らないぜ…」と決意するほどの情熱も特に持ち合わせてなかったので、代わりにポテトチップス濃厚はちみつバター味(ポテトチップス濃厚はちみつバター味 |商品情報|ファミリーマート (family.co.jp))を買った。安いし甘じょっぱいし最高のポテチじゃん。おいしい!

 また次の週は別のコンビニに行き、湖池屋湖池屋フライドポテト 焦がしキャラメル(湖池屋プライドポテト|商品情報|株式会社湖池屋 (koikeya.co.jp))というのを買った。キャラメル味のポテチ…?とともすれば「ネタ枠」を疑ってしまいそうになるが、甘さとしょっぱさのバランスが絶妙でとてもおいしかった。第一印象とのギャップがあり面白いので、友だちで集まる時にはちょっと持っていきたい。

 また別の日は湖池屋の甘辛カラムーチョ ヤンニョムだれチキン(カラムーチョ|商品情報|株式会社湖池屋 (koikeya.co.jp))を買った。こちらは「甘辛」だけど、やっぱりおいしい。流石カラムーチョだけあって、甘さと辛さのバランスが良い。ここまで紹介したポテチって実は全部おいしいんですよね。

 自分ってあんまりポテチの味を覚えてないな…何のためにポテチ食べてるんだ…?充足感…?なぜ他のおかしでなくポテチなんだ…?ジャンキーだから…?といろいろ考えているうちに、「そういえばコクうまポテトハニーバター味って本当に消えたの…?」と未練が出てきたので調べると

普通にサイトにある!?販売終了とか書いて無!?!?(公式サイトより)

 

 

いやこれ普通に売ってんじゃん!!ヤッタ~~~~~!!

 

 

ここ最近で地味に嬉しかった出来事トップ3に入りました。

今週はコクうまポテトハニーバター味を探す旅に出ようと思います。

みなさんもコクうまポテトハニーバター味を食べて最高の週末をお過ごしください。

 

推しが大河に出たので推し活をした ~鎌倉幕府三代将軍を応援する会2022 激闘!準備編~ 

 みなさんには、「推し」はいらっしゃいますか?私はいます。鎌倉幕府第三代将軍、源実朝(1192~1219)です。

 私は数年前から彼のことに興味を持ち、調べ始め、イラストを描いたりグッズを作ったりするなどしておりました。「推し活」の一種と言えるでしょう。

 ただその実朝の「推し活」で最も盛り上がった期間がありました。それは、実朝の叔父・北条義時(1163~1224)を主人公としたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送された2022年です。

 ドラマ本編に実朝が登場したのはもちろん、関連書籍の出版やイベント・展示会などが実施され、それまで私が体験したことが無いような"実朝フィーバー"が巻き起こりました。2022年は本当に鎌倉時代一色、という感じでした。

盛り上がった様子。

 

 そんな2022年の秋に、「鎌倉幕府三代将軍を応援する会」と題して同じく実朝が好きなフォロワーさんと一泊二日の「推し活」を行ってきました。こちらの記事は、その「推し活」の汗と涙の記録です。実朝で「推し活」がやりたい!今後大河ドラマに出てくる推しで「推し活」したい!よくわからないけど楽しそうに「推し活」してる人が見たい!という方の助けになれば幸いです。

 

  • 準備編 ~5月~

 

 2020年1月に「2022年の大河ドラマ北条義時が主人公!2022年大河ドラマは「鎌倉殿の13人」に決定!主演は小栗旬 | WEBザテレビジョン (thetv.jp)、2023年5月16日閲覧)(NHKの発表は既に消えてるようでしたので他サイトで失礼します)」という報道を見て、「つまり実朝も出る…」と理解してから、私にはやりたいことがありました。

 

 そう、応援上映です。

 

 なんか…「こっち向いて♡」みたいなうちわとかペンライト振って応援したい!いい感じに気心が知れた人と一緒にキャッキャした~い!!という夢がありました。応援上映に対するイメージが曖昧ですが、所謂「推し活」っぽい「推し活」がしたかったのです。そもそも大河ドラマの放送を応援「上映」と呼んでいいのか謎ですが…

 キャッキャした~いという思いは2年後の2022年1月に放送が始まってもあったのですが、実際に話が動いたのは同じ年の5月でした。話が動いたと書くと大げさですが、ただ単に一緒に実朝の展示を見ていたフォロワーさんに「あの…一緒に大河見ませんか…?」と言っただけです。

 ありがたいことにその場で「いいですね!」と言ってくださったので、早速計画を立てることにしました。

横浜の大佛次郎記念館にて開催された「実朝と桜子」展を見に行った時のことでした(テーマ展示「実朝と桜子~大佛次郎が紡いだ武士(もののふ)と雅(みやび)~」 | 大佛次郎記念館 (yafjp.org)、2023年5月16日閲覧

 ただ、ウキウキであれしようこれしようと計画を立てている中、我々は単純にして重大な問題に直面します。

 

 それは「いつやるか」ということです。

 

 先程も述べたように、「鎌倉殿の13人」は実朝の叔父・北条義時が主人公であり、非常にざっくり言うと頼朝の挙兵(1180)~承久の乱(1221)までの約40年間を描いています。

 その中で、実朝の人生は1192年から1219年です。ドラマ的なことを考えると、どうあがいても途中で登場し途中で退場することになります。

 しかし、具体的にいつ登場していつ退場するのか?それが2022年5月の段階ではわかりませんでした。

 前年の12月に発売されていた『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月30日)にはこの先のあらすじが載っていますが、掲載されているのは第20回「帰ってきた義経」(5月22日放送)までであり、実朝はまだ登場していません。

 普通に計算すればだいたい中盤に登場、終盤あたりに退場…かと思われますが、そんな素直に時が流れるかはわかりません。あくまで本作は歴史を元にした創作物です。

 鎌倉時代に書かれた歴史書である「吾妻鏡」などに記録された出来事の中でも、作中において重要な事件であれば当然時間をかけるでしょうし上総広常誅殺は結構じっくりやってるなあと思いました、逆に有名な出来事でもばっさりカットされる奥州藤原氏討伐の時に頼朝が大勢の御家人たち率いて出兵したとか)(有名だもん)(見たかったんだもん…)こともあります。歴史ものあるあると言えばあるあるですが、脚本家が脚本家だけに余計読めなくなってきます。

 「実朝のこのエピソード見たいな🎶」とうかうかしていたら、ある日突然退場してしまいえ?………………………となるかもしれません。恐ろしいですね。

 それだったら実朝が登場したらすぐに…とも思いましたが、せっかくだったら実朝が活躍する回で応援したい…。2年待ったんです……。本当に…………。

 そのため、応援上映をやるのは実朝が「鎌倉殿」になってから、つまり実朝が将軍になった1203年9月以降にしようとなりました。

 しかし、作中で実朝が将軍になるのは実際いつなのか。2年の重みからいろいろな可能性を考えてしまいますが…とりあえず、おおまかな流れは「吾妻鏡」などを参考にして、秋ごろがいいのではないかとなりました。

 カレンダーを確認してみると、丁度9月半ばに土・日・月という3連休があるではありませんか。日曜の夜に放送される大河を見てその次の日に遊ぶ、なんて良いスケジュールでしょう。ということで、応援上映の日程は9月の17~19日に決定しました。 

 そして場所に関してはすぐに決まりました。やっぱり、実朝の生まれ育った鎌倉です。

 その鎌倉の中でも、私は「源ホテル鎌倉」Home - GEN Hotel Kamakura (gen-hotel-kamakura.com) 、2023年5月16日閲覧)という場所にしたいと思っていました。最大の理由は、「SANETOMO」という名前のお部屋があるからです。こちらのホテルは、鎌倉時代に北条氏の屋敷があったとされる一角に位置しているためか、「YOSHITOKI」「YORITOMO」「MASAKO」「JYOKYU」といった源氏・北条氏ゆかりの人物などがお部屋の名前になっているんです。

源ホテル鎌倉公式サイトより。
わくわくしますね

 鎌倉にあるSANETOMO部屋。こんなにふさわしい部屋がこれ以上にあるでしょうか。いや、ない。この時点ではまだ9月の予約は出来なかったのですが、このホテルにしよう!となりました。

 そんな感じで、具体的に何をやるかはまだ決まっていなかったものの、無事に日程と場所が決まりました。

 ちょっと気が早いようにも感じますが、泊まりたいホテルの部屋まで決まっていたので、早めに日程を決めておきたかったためです(SANETOMO部屋、やはりサイトを見ているとちょくちょく埋まっていました)。あと普通にめちゃくちゃ楽しみで浮かれてました。

 

  • 準備編 ~7月~

 

 そんなこんなで大河の中でも無事に実朝が誕生した(第22回「義時の生きる道」6月5日放送)のでケーキを買ってお祝いなどしていたら、あっという間に7月になっていました。

おめでとう

 しかしここで、我々はある疑念を抱きます。

 

 え?これ本当に9月に実朝活躍するの…?

 

 5月27日に発売された『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月30日)には、第21回「仏の眼差し」から第32回「災いの種」までのあらすじが掲載されていました。それによると、実朝はその第32回の終盤で将軍に就任するシーンが描かれるというのです。毎週大河が放送されるとして、我々が迎える9月18日は第36回ということになります。

 ちょうど実朝が将軍になってすぐの頃ですが、この頃は(この頃も?)本当にいろいろありました。大きな出来事だけでも、頼家暗殺、畠山重忠の乱、牧氏事件などがあります。主人公の義時にとっては、無実の友人の討伐や父・義母追放など、特に大きな事件ばかりです。結構時間を割いてじっくりやるだろう、という想像は容易につきました。そうすると、我々が見る第36回はいずれかの事件の真っ最中ではないのでしょうか。

 しかし「吾妻鏡」などを参考にした際に、これらの事件の中でまだ幼い実朝が何かしたか?と言われるとあまり思いつきません。そう考えると、第36回では実朝ってあまり活躍しないのでは…?出ても一瞬、台詞も一言…とかになるのでは……?

 牧氏事件で巻き込まれそうになったことはありますが(「吾妻鏡元久二年閏七月小十九日)…合間に和歌とか詠んだりはしているんですが…(「吾妻鏡元久二年四月大十二日)吾妻鏡」には御家人の娘を御台所に立てようとしたが実朝は拒否して都に申しいれたという話があるけど(元久元年八月小四日)時代考証の坂井孝一先生が「実朝の意と称して時政が自分の意思を押し通したとみる方が現実的(坂井孝一『源氏将軍断絶』株式会社PHP研究所、2021年1月)」って言ってたし私もその説妥当じゃないかと思うし…

(ちなみに畠山重忠の乱の時に実朝が御教書を発給したり、牧氏事件の時に時政が実朝に御教書を発給するよう迫ったなんてことは「吾妻鏡」にはありません)(「吾妻鏡元久二年六月小廿一日・同月小廿二日、元久二年閏七月小十九日あたりを参考にしてね)(ちなみに個人的には他の史料でも聞いたことないけどそんな話があったら教えてください) 

 そんな思いをフォロワーさんも抱いていたため、話し合いの結果、やはり日程を後にずらすことになりました。第36回でも出るには出るかもしれませんが、推しが大河に出るなんてもう生きているうちにあるかなんてわからないし…せっかくだから………せっかくだから………

 そしてまた「いつやるか」という問題になりました。9月18日より後がいい、でももう実朝は将軍になっているし後過ぎるのも怖い…そんなことを考えながらカレンダーを見ると、なんとその3週間後にも土・日・月という絶好の3連休があるではないですか。

 9月18日では様々な事件が起こっていたとしても、3週間後の10月9日には少し鎌倉も落ち着いて、実朝が活躍している様子も見られるのではないでしょうか。和田合戦やってる可能性もあるけどね。こうして、日程は無事に10月の8・9・10日に決定しました。

 実際、9月18日に放送の第36回「武士の鑑」では実朝も割と登場していたため、今振り返ると「考えすぎなんじゃ…」と思いますが、この時はまだ実朝がどのようにして本編に関わって来るのか全くわからなかったのです。そもそも一言も喋っていませんでした。少し映った子どもたちのシーンから「これって実朝かも~😊」ってやってるような時期だったのです(第25回「天が望んだ男」(6月26日放送)の相模川の橋の追善供養でみんなが集まってるシーンで探してたりしてました)。

 なので「現在幼少期のため全く喋っていないけど、元ネタを考えるにおそらくこれから活躍するはずの登場人物」の応援上映をしようとしていたとして多めに見てください……

みんなで仲良く餅を丸めていたころです(第25回「天が望んだ男」)
  • 準備編 ~9月~

 そんな話し合いから時が経ち、無事に実朝が将軍に就任し、9月からは実朝を柿澤勇人さんが演じるようになりました(第34回「理想の結婚」9月4日放送から)。

第34回は実朝が頑張ってました

 

 SANETOMO部屋も無事に予約が取れ、10月8~10日の3日間で何をしようか考えていた9月の下旬、我々の元へ衝撃的なニュースが飛び込んできたのです。

 

公式サイトより

 

「「鎌倉殿の13人」応援感謝!ウラ話トークSP ~そしてクライマックスへ~」

 

(中略)

 

北条義時は父・時政を乗り越えて鎌倉幕府の二代執権に就任し、いよいよ姉・政子とともに政治の実権を握ります。物語は日本中世史の大きな謎、“三代将軍・源実朝の死”、 そして江戸幕府まで続く強固な武家政権樹立を決定づけた北条義時と朝廷との戦い“承久の乱”を描く最終章に入っていきます。
物語をより楽しんでいただくために、10月9日(日)は「『鎌倉殿の13人』応援感謝!ウラ話トークSP ~そしてクライマックスへ~」と題して、小栗旬さん、小池栄子さん、坂口健太郎さんら豪華ゲストを迎え、これまでのドラマをウラ話満載の爆笑トークで振り返るとともに、クライマックスの見どころをご紹介します。

(『鎌倉殿の13人』トークスペシャル番組放送+全体放送回数・最終回放送日のお知らせ - NHK 、2023年5月16日閲覧)

 

 

え…?

 

 

10月9日…

 

 

大河放送しないの!???!

 

 

 

 

え…?

 

公式サイトより(下線は引用者)。

 

しかも実朝(ここでは柿澤勇人氏を指す)出ないの!???!?!!

 

 

 

え…?

 

 

 

 

え……?

 

 

 

 

 実朝が活躍する姿を見るために10月9日に変更したら、実朝どころか大河が放送されない週だったのです。

 なんということでしょうか。マジで。

 しかも代わりに放送されるスペシャル番組には、実朝を演じる柿澤勇人さんの名前はありませんでした。「大河放送されないけど面白そうなスペシャル番組やるし柿澤さん出るし良いか~😄👌」もできません。え…?あ…あれ…??

 もちろんスペシャル番組に罪はありません。ですが我々には「実朝が活躍する姿を見たい」「実朝を応援したい」という思いがありました。そのために日程変更を行ったのです。この目論見が、ものの見事に外れました。推し活ってこんなに難しいんだ………

  応援…感謝……スペシャル………………………

 急ぎフォロワーさんに「10月9日、面白そうな特番やるんですけど実朝出ないらしくてどうしましょうか…(意訳)」と相談したところ、「やっぱり変更しましょうか…」ということになりました。

 

 そうしてここで問題になったのが、「いつやるか」ということでした。

 

 日程をずらすことになったものの、こちらが判明したのは予定日の約2週間前(先に引用した記事は2022年9月22日公開)。いろいろ準備もありましたし、早めるのは急すぎます。やはり遅らせることになりましたが、一番近い日でお互いに日程が合うのが11月6日でした。

 

 11月6日。今から約7週間後。10月9日は放送されないとして、放送されるのは、おそらく第42回。実朝は、退場せずに生きているのでしょうか。

 

 第33回以降のあらすじが掲載された『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』を参考にしたいところでしたが、このニュースが飛び込んできた9月22日ではまだ発売されていませんでした。2週間後の10月7日発売予定だったのです。

 つまり、ここにきても実朝がこれから何をしていつ退場するのかわからなかったのです。9月放送分って、あらすじが無いいわば空白の期間で、次回予告が流れるまで本当に何が起こるかわからない時期だったんですよね。

 でも変わらず「吾妻鏡」などの流れから、ある程度の推測はできます。できるんだってば。この時点での実朝退場までの大きな出来事は、時政夫婦追放、和田合戦、渡宋未遂(と暗殺)といったところでした。

 仮に時政夫婦追放に1週、和田合戦に2週、渡宋未遂に1週、暗殺に1週…と予想すると、11月6日は暗殺回になります。生きている…と言えば生きていますが………暗殺シーンも素早く終わってしまう可能性があります。つら。

 また、もしかすると渡宋の下りを大河ではやらない可能性もあります。時政夫婦追放は義時にとっては大きな出来事ですし、和田合戦は「13人」のうちのひとり・和田義盛が退場します。実朝暗殺ももちろん大きな事件です。これらに比べると、渡宋の一件はやらなくても物語として重大な支障は出ないでしょう。そうなると、11月6日は「実朝が退場した次の回」ということもあり得るわけです。つらすぎる。

 というか正直な予想を言うと、「主人公が北条義時なんだし11月あたりから最終回までは承久の乱だよね?」と思っていました。実朝死後に起こった承久の乱は主人公の義時にとってはもちろん、泰時や政子にとっても、朝廷にとっても、幕府にとっても重大な戦いです。そして1年間続いた物語のクライマックスです。時間をかけてじっくりやるよね?いや…やってくれ…という願望があったため、「11月ってもう実朝いないんじゃ…」と怯えていたのです。人は本当に、見たいものしか見えません。

 でもフォロワーさんと「この回って実朝まだいるんですかね…?」「た…多分…」みたいな会話をした覚えがあるので、そこまで的外れな予想ではないと信じています…

 実朝が本当に登場するかはわからない。

 わからないですが、ホテルの予約のこともあり我々は11月6日に開催することに決めました。

 ここまで来たら、最早祈るしかありませんでした。

 …頑張れば10月30日にも実行可能だったんですが(確か私に予定があったため11月になった)、結構頑張らなくちゃいけないし……またいろいろ予定変更するとかしんどいよ………

 

 はたして、この判断で本当に良かったのか。

 それがわかるのは、ドラマ・ガイドが発売される、2週間後の10月7日でした。

 

  • 準備編 ~10月~

 

 小さい鎌倉殿のアクスタを作ったり、私の誕生日の9月29日に柿澤さんがクランクアップしたりhttps://twitter.com/kakizawa_hayato/status/1575430712572129280?s=20 、2023年5月16日閲覧)、 10月1日に開催された赤い羽根共同募金のスタートアップイベントに柿澤さんが参加するというので行ってみたら記憶を失ったりhttps://twitter.com/kakizawa_hayato/status/1576058399007313920?s=20 、2023年5月16日閲覧)10月5日に放送された「英雄たちの選択」では実朝が中心となった回が放送されるなど鎌倉殿暗殺!源実朝 禁断の政治構想 - 英雄たちの選択 - NHK 、2023年5月16日閲覧)、実朝ラッシュが続いていたらいつの間にか10月7日になっていました。

シルバニアファミリーより少し大きいぐらいのサイズ

 ついにやってきた10月7日。ちなみに10月7日放送の「あさイチ」は柿澤さんがゲストで出演していたため、イラストを2枚ほどFAXしました「プレミアムトーク 柿澤勇人 ▽“鎌倉殿”舞台裏&特殊メーク!」 - あさイチ - NHK 、2023年5月16日閲覧)。

 

FAXを送ったフォロワーさんと
自分たちの送ったイラストって
周りの人たちと比べてなんか文字が多くない…?
という話をしました

 FAXして出勤して仕事していたらもうお昼。12時になった瞬間、私は近所の本屋に駆け出していきました。

 これから先は放送延期等がない…と仮定して、11月6日に放送されるのは第42回。

 はたして本当に、あの判断で良かったのか。本当に私たちは、実朝の元気な姿が見られるのか。

 

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「第42回」

 

 

 

(中略)

 

 

 

「「大きな船を造りましょう。誰も見たことのない大きな船。それで宋へ渡り、交易を行うのです」

聖徳太子様もかつて隋へ使者を送られました」

仲章に心を揺さぶられ、実朝はすぐにも船造りに向けた準備に取りかかるように命じた。」(『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版、2022年11月10日)

 

 

 

 

 

え!??!?

 

 

 

 

 

 

まだ渡宋!???!???!

 

 

 

 

 

 

承久の乱大丈夫なの!????!????!??!???!

 

 

 

 

 

 

 

え…?

 

 

 

 

 

 

ヤッター!???!!!!?????!!!???!???!??!??

 

 

 

 

 第42回のあらすじ。そこに記されていたのは、実朝が渡宋しようとする姿でした。

 実朝が元気な姿を見ることができるのは嬉しい…嬉しいですが、なんだか試合に勝って勝負に負けたような…「僕は昔から源実朝が大好きで(下記画像参照)」と言っていた脚本家に感謝すればいいのか憎めばいいのか…承久の乱……承久の乱は…………?

 

鎌倉の大河ドラマ館に掲載されていたパネルより(下線は引用者)

 なんだか非常に複雑ですが、実朝が元気な姿を応援できるのはとても嬉しいですし、安心しました。仮に1回分延期が発生しても、11月6日に大河の放送があればそこに実朝は登場します。

 それに渡宋の件は、私の好きなエピソードのひとつです。突然宋に行こうとするなんて…最高!そんな好きなエピソードの回を、実朝が生まれ育った鎌倉で、実朝が好きな人と一緒に見ることができるのです。最高!!前々から「渡宋して♡」ってうちわ作りたかったんだよな~~~!!!!

 本当にいろいろありましたが、無事に11月6日・7日に開催することが決定した応援上映会。1か月後の念願の日に向けて、着々と準備を進めるのでした。

 ※勢いのあまり本屋で立ち読みしてしまいましたが、立ち読みはやめましょう(読んだ後買いました)。

 

長くなりすぎたため、実際の様子はまた後程…

 

友人のLINE。応援上映会が超たのしみな様子

 

 

推しが大河に出たので推し活をした ~鎌倉幕府三代将軍を応援する会2022 最高!応援上映編~

 

 2022年11月6日。ついにその日はやってきました。

 

 様々な困難推しが大河に出たので推し活をした ~鎌倉幕府三代将軍を応援する会in鎌倉2022 激闘!準備編~ - 9番街北倉庫や準備を乗り越え、ようやく無事にこの日を迎えることができました。非常に天気の良い日でした。

 

 ちなみに前日の11月5日は「交通安全大使委嘱式及び交通安全キャンペーン(鎌倉市/「交通安全大使委嘱式及び交通安全キャンペーン」実施について (city.kamakura.kanagawa.jp) 、 2023年6月10日閲覧)」と題して、柿澤さんと実朝の妻である坊門信清娘(作中での名前は千世)を演じた加藤小夏さんが鎌倉に登場しましたhttps://twitter.com/kakizawa_hayato/status/1588868270693965824?s=20 、2023年6月10日閲覧)。私は見られませんでしたが…いいんですよ…準備に忙しかったし…応援上映するんですから………

 

  •  神奈川県立歴史博物館

 無事にやってきた11月6日。まず我々が向かったのは、鎌倉ではなく横浜にある神奈川県立歴史博物館です。

 お目当てはというと、10月15日から開催されていた永福寺に関する展示でした【特別展】源頼朝が愛した幻の大寺院 永福寺と鎌倉御家人―荘厳される鎌倉幕府とそのひろがり― | 神奈川県立歴史博物館 (kanagawa-museum.jp) 、2023年6月13日閲覧)

下文風のチケットがおしゃれ

 永福寺は実朝も何度か訪れたことのある、とても縁のある寺院です。「吾妻鏡」を見ると、僧坊で歌会を行ったり(「吾妻鏡」建保五年十二月二十五日)、郭公の声を聴こうと訪れたり(「吾妻鏡」建暦元年四月廿九日)となんだか楽しそう。ちなみに郭公の声は聴けませんでした。

  この展示を知った時から絶対に行く!と思っていましたし、永福寺がテーマになって展示が開催されること自体に非常に感動しておりました。永福寺建立の過程からその影響、そして後世の研究についてなど、永福寺の壮大さとその歴史を知ることができる非常に良い展示でした。

 あと出入口では頼朝・頼家・実朝・義時・時房・義村のパネルが出迎えてくれました。知らなかったのでびっくりしました。ここでお目にかかれるとは…

出入口の左側にいました

ツーショット

 勉強にもなったし、いろいろな人に出会えてとても良い展示でした。

 

  • 百均

 そんな感じで展示を楽しんでお昼ご飯を食べた後、我々は応援上映に向けての買い出しに向かいました。事前準備などいろいろ考えたのですが、「横浜ってめちゃくちゃ都会だからもうそこで買ったほうがいいんじゃないか」という結論に落ち着いたのです。

 そして近くの百均に行くと、必要なものを片っ端からカゴに入れました。ペンライト、風船、うちわ、うちわをデコるためのシール、リボン、両面テープ………なんか「いいな」って思ったものはだいたい買った気がします。爆買いです。

 あるデコレーション用品を買おうか迷って「どうします?あった方がいいですかね…」と相談したところ、フォロワーさんに「いやこれ全部100円ですよ!!」「買った後悔より買わない後悔を!!!」「もうこんな機会無いですよ!!!!」と言われ「そうですよね!?!?」と納得してカゴに突っ込んだ結果こうなりました。フォロワーさんの応援上映にかける覚悟を知り、私も改めて覚悟を決めました。

 他にもほしいと思っていた風船が無いとわかると、急いで別の百均を調べて向かっていったのも強く覚えてます。「風船は諦めましょうか~」とか……「ここにないならないですね」とかじゃないッ…………もうこんな機会無い……もうこんな機会無いかもしれないんだよッ………!!

 そんな百均での爆買いを終えると、割と時間がないことに気が付き急ぎ鎌倉へと向かいました。放送はいつも通り20時からの予定でしたが、せっかくだからBSプレミアムにて18時から放送される分(いわゆる「早鎌」)も見たいと考えていたからです。それを含めて考えると、割と時間が無いころでした。買い物の時点で、もうありえないほど楽しくなっちゃったんです。

 うちわのデザインを考えるフォロワーさんを電車の中で応援しながら、我々は鎌倉へと急ぎました。

  • 源ホテル鎌倉

 鎌倉駅へとなんとかたどり着き、ようやく来ました源ホテル鎌倉。

 

 そう、我々はついにSANETOMO部屋へ…!

わー!!

すごい!!

 

本当に実朝だ!!!

 

わ~~~~~い!!!!!!

 

 HPで見ていた通り、シンプルかつおしゃれな部屋でした。

 そして、実朝。

 

 最高じゃん…長かったよ…ここまで………本当に…………………………

 

 源ホテル鎌倉、2020年オープンで新しい上に鶴岡八幡宮のすぐそばという最高の立地も兼ね備えたホテルなんです。PRとかではないですが鎌倉旅行の際は是非是非泊まってください(Home - GEN Hotel Kamakura (gen-hotel-kamakura.com))。

なじんでる!

 

 浮かれて写真を撮りまくっていましたが、そういえば我々には時間がありませんでした。急いで近くのコンビニへ行ってうちわのデザインを印刷し、飲み物等を買って準備を始めました。

 買い出しが終わって、戻って来た時点で時刻はもう17時になろうとしていました。ありがたいことに、予定通りあと1時間でもう「早鎌」は始まります。時間、無いです。

 うちわに印刷してきたデザインを貼る、風船に空気を入れる、部屋の飾りつけをする…やることはたくさんありました。本当に、時間がない。本当に時間が無くて、分担して作業しながらも二人でヤバいヤバい言ってました。

 あと1時間しかないの!?ヤバくない!?間に合うのこれ!?という気持ちでいたからか、どんどん机の上もごちゃごちゃしてきました。ヤバいッ………

ヤバい!!

 でもこの大慌てで作業をしていた時間が、笑っちゃうぐらい楽しかったです。

  高校の文化祭で、ギリギリまで準備をしているような感じ。お互いの物で溢れた机に二人向かい合って、うちわ作るためにはさみ貸してもらったり、風船に空気入れるやつ貸したり。全然時間が無いのに、うちわが出来たら「これめっちゃ良くないですか!?」って勢いのまま見せたり。楽しすぎるよこんなの!

いやだってめっちゃ良くない!?

 本当にギリギリで大変だったけど、この時間は楽しくて仕方なかったです。

 

 しかしながら、キャッキャキャッキャ準備してたら「早鎌」が始まりました。文化祭、もう始まっちゃったよ。

 結局、我々はうちわやら風船やらを作りながら横目で推しを見守ることになったわけです。いや別にいいんだよ!まだ文化祭1日目だから!校内の人しか来ないし!今なんとか仕上げればいいって!!

 でもまあ作業も時折止めて「早鎌」は見ました。詳細?は後程になりますが、一番盛り上がったのは実朝夫婦のシーンでした。大声出しちゃったよ。ありがとう実朝夫婦……forever………………

 

 そんな推しに気を取られて推しを応援できないという事態を乗り越え、なんとかうちわが完成!風船も全部膨らませた!飾り付けもできた~~!!

 

めっちゃ良い~~!!

 

 めっちゃオタクっぽい!すご~~い!!!

 時間も迫る中、結構頑張ったのではないでしょうか。うちわもサイコ~!フォロワーさんの透明なうちわもかわいくて良い……

 

 下に置いている風船もとてもかわいい!

 諦めずに百均をはしごしてよかった…PARTY風船も透明な風船も地味に売ってないんだよ……………

左から山崎正和『実朝出帆』、太宰治『右大臣実朝』、
斎藤茂吉編『金槐和歌集』、
実朝(ちいさい)、大佛次郎源実朝』、
『生誕820周年 源実朝 くりかえしよみがえる歌』、
坂井孝一『源実朝 東国の王権を夢見た将軍』

 テレビの下に並べた本たちもめっちゃ良い……完全に私物なのに、"最初からそこにあった感"がとてもありますね。

 本は自分の好みで選んだとはいえ、自分で選んだからこそ見るだけでテンションが上がります。『実朝出帆』は渡宋の話なので外せないし『右大臣実朝』も自分が実朝好きになったきっかけの一つになった作品なのでマストだし『金槐和歌集』はやっぱり外せないし『源実朝』も後編が「唐ふね」で渡宋の話結構やるし『生誕820年 源実朝 くりかえしよみがえる歌』は個人的に大好きな本だし『源実朝 東国の王権を夢見た将軍』は時代考証の坂井先生の本だからやっぱり外せなかったんだよな。荷物多くなったけど、本当に持ってきて良かった…

 

 そんな感じで一通り盛り上がった後、うちわのデコレーションなどの仕上げを行い、二人で写真撮影大会になりました。こんなに頑張ったんだから、やっぱりいい感じに写真を撮りたいものです。

 

 よっしゃ!写真とるぞ~!

わ~~い!!…

わ~~い……………?

 

 な…なんか…イメージと違う…

 

 いや…これでも良い…これでも全然良いんだけどなんか…なんか想定していた”推し活”の写真とちょっと違うような………?なんだろう…なんか………

 ああでもない…こうでもない…と二人で悩みましたが、SNSなどで様々な”推し活”の画像を参考に検討した結果、統一感がないのでは?という結論にいたりました。 

 確かにすごいな~!と思う写真は、推しのメンバーカラー(またはイメージカラー?)が赤なら赤、黒なら黒を中心として飾りやグッズを用意しているようでした。気になる方はSNSで #推しのいる生活 や #本人不在の誕生日会 などと検索してみてください。公式から出ているグッズがその色に沿っている、ということもあるのでしょうが………やはりそれぞれの色が揃っていると綺麗ですね。

色が揃うと良い感じ

 ただ推しに関連したものを集めれば良いというわけでもない。推し活にもセンスや計画性が必要なのだなあ…と非常に勉強になりました。

 

 みんないろいろ試行錯誤して撮影しているんだろうな…我々はその辺り疎いからわからないし…初心者だし……ちょっと勢いが強すぎたかも……………

 

 

 

 

 

 

 

 

でも好きなもの全部あって最高~~!! 

 

 テンション上がって描いたしおりも、横浜を駆け巡って揃えた風船も、実朝をもっともっと好きにさせてくれた思い出の本たちも、ああでもないこうでもないとデザインを考えてデコレーションをひとつひとつ付けたうちわも全部あって本当に最高の空間だこれ!フォロワーさんも一緒だし!

 

 なんて言うんですかここ!?え…SANETOMO…………!?!?

さねとも~!!

 

やっぱこれ…最高!!

 

 そんなこんなで撮影大会をしていたら、もうあっという間に20時が近づいてきました。ヤバい。というか冷静に考えたら1時間ぐらいしか余裕がないんだった。2分前だけど全然飾りが戻ってない…あれ…?

いくよ実朝!

 

 

 

 なんとか風船や飾りを戻して…

 

 

 

 万全の状態で、いざ鎌倉!!

 

ウワーー!(冒頭から実朝の寝顔回

 応援上映の様子は著作権的なことに配慮して、テレビの画面をそれっぽいイラストに替えた画像でお送りします。

 

 2022年11月6日に放送された第42回「夢のゆくえ」は、非常にざっくり言うと実朝が宋に行きたい!と言って宋に行こうと頑張る回です。実朝が自分から頑張ろうとしている、応援し甲斐のある回ですね。うちわめっちゃ振っちゃうぜ。

 なんか…みんな………いい感じでさあ!おいおい、これは宋行っちゃうね………………………

 え?吾妻鏡…って何ですか………?

 

 有り余る勢いで実朝に対し何種類かうちわを作ったことで、様々な状況に対応して応援することができました。

 うお~!みんながんばれ~~!!ファンサもして~~~!!

作中における汎用性が高くなってしまったかなしいうちわ

不敬

 しばらく実朝~!とか渡宋して~!とかワーワー言いながら実朝たちを見守っていたら、フォロワーさんが「見るのに邪魔じゃないですか?」と上の飾りを外してくれました。確かにすっごい邪魔だった。顔隠れるし。

うちわ絶対見えないよ

 見づらくなるし…PARTY風船のYも時々落ちてくるし……画面周りってあまり飾り付けないほうがいいのかも…?

 

でもいいんです…楽しいから……!

 

うお~~~~~!!!!



ここまで準備して見るの…超楽しい…!! 

 

 

 さて実朝たちは本当に宋に渡れたのか!?2年ごしの我々の応援は実ったのか!?

 

 

 それは是非、自分たちの目で確かめてみよう!結論だけ知りたい人は「吾妻鏡」建保五年四月大十七日の記事を読んでみよう!!

 

 

ずっと応援してるよ~~!!!!

 


  そんなこんなで無事に大河の放送が終了し、我々の応援上映は終了しました。本当に、あっという間の45分間でした。

 「早鎌」が始まった時はえ!?ちょっともう始まんの!?待っててくれない!?となり本当にどうなるかと思いましたが、フォロワーさんと協力し無事に万全の態勢で応援することができてよかったです。

 思い起こせば2020年の1月…あの時から思い描いていた夢でした。様々な困難を乗り越え、その夢が今日叶いました。脚本家に祈るしかなかった時は本当に死ぬかと思った…

 

 うちわ、振れたよ……………応援、できたよ………………

 

 

 

 

  

 今日は本当に……良い日だ…………………………

 

 

 

 

  • マック

 そんな余韻に浸りつつ大河終わりの活発なTL見てだらだらしていましたが、全力を尽くしたせいかお腹が空きました。

 時刻は21時ごろ。やっているお店がどれぐらいあるのかわかりませんが、まあコンビニかマックはやってるでしょ…と2人で夜の鎌倉へと繰り出すことにしました。たのし~!

テンションが上がっているため
お互いペンライトをバッグに入れて出かけました

 流石にこの頃だと小町通りのあたりのお店はほとんど閉まっていたのですが、暗く静かな小町通りというのが新鮮でとても面白かったです。

若宮大路も人がいない

鶴岡八幡宮に行こうとしたけど閉まってました

 2人でホテルを抜け出し、昼間とはうって変わって人気の無い鎌倉の街を歩くのはとてもワクワクしました。こんな時間の鎌倉にいるの、うちらだけかもね。

 ちなみに買ったのは…サムライマックだよ…!

ポテトたべる?

 夕飯を食べた後は、のんびりとした時間を過ごしました。大河の感想を言い合ったり、はたまた全然関係の無いことを話したり。一人がお風呂に入っている間は、一人は今日の回のイラストを描いたりとか。そんな感じでだらだらしました。

 深夜の2時ごろには、ホテルの屋上に行って二人で夜空を見ました(源ホテル鎌倉って屋上にも出られます!)。いい天気だったので、星がとても綺麗でした。

 実は鎌倉の枕詞とされているのって、「星月夜」なんですよね(※)。それもあって、フォロワーさんと非常に盛り上がりました。

 うまく写真におさめることはできませんでしたが、それもあってとても印象的な星空でした。実朝も見た空だったかもしれないね。

 そんな星々を目に焼き付け、この日は眠りにつきました。

 長いようで短い、あっという間の一日でした。

 

 楽しかったよ、本当に…

 

 

 

 

 

 

 

 でも我々には…

 

 

 

 まだまだやりたいことが残ってる!!

 

 

 

 次回、「最高!鎌倉散策編」に続く…

 

 

 

 ※「星月夜」ですが、「鎌倉を導く枕詞」として紹介するものもあれば11星月夜の井と鎌倉山 | 神奈川県立の図書館 (pref.kanagawa.jp) 、2023年6月10日閲覧)、「「鎌倉」にかかる修飾語。主として謡曲で枕詞ふうに用いられた星月夜(ほしづきよ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp) 、2023年6月10日閲覧)」と説明するものもありましたため曖昧な表現になっています。

 「星月夜」について調査されているレファレンス共同データベースの記事かつての鎌倉町の町章である「星月」について調べている。町章や枕詞である「星月夜」について書かれている... | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)、2023年6月10日閲覧)に提示されている文献を見ると、枕詞としている資料が多いような気もするので枕詞としても問題はないのではないかと思われますが…

 記事に紹介されているように、佐佐木弘綱も「此枕詞古くは見えず永久百首にはじめて見ゆ(『詠歌辞典』、博文館、1897年8月」と述べていますが、昔からこのような使い方をされていた訳では無かった(永久百首は1116年)からこのように解説が違うんでしょうか?

 ここまでいくと枕詞って何?何をもって枕詞とする?という問題に付きあたってしまうような気がするため、一旦ここで置いておきます。何か知っている人がいたら教えてください…。

 斎藤茂吉編『金槐和歌集』を見る限りでは実朝は「星月夜」は使ってないみたいですが、ぜひとも使った歌が見たかったな!

第三回みんなの推しプレゼン大会要項

 

私の推しの話を聞いてくれ~~~~!!!!

 

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。きたと申します。この度、私は「推し」をプレゼンすることになりました。

プレゼンすることになった経緯は、フォロワーさんが月に一度ZOOMで開催されている「みんなの推しプレゼン大会」に毎月楽しく参加していたところ、今月は私がプレゼンを行うことになり…というものです。ドキドキですね。

私の「推し」ということで、鎌倉幕府三代将軍の源実朝さんについてのお話をしたいと考えています。上手くまとめられるかはわかりませんが、少しでも魅力が伝われば嬉しいなと思います。

 

以下、詳細です。

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第三回みんなの推しプレゼン大会

 

日時:2022年3月19日(土)20:00~

ZOOMのURL:

Zoomミーティングに参加する
https://us02web.zoom.us/j/81378959971?pwd=MmdmWTlQNjcwNXFKVmtadFdmdlRIQT09

ミーティングID: 813 7895 9971
パスコード: RLC2p4

 

※カメラ・マイクオフでもOKです。

もちろんマイクやチャットなどでコメントが貰えると嬉しいです!

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話す内容はまだ具体的には決まっていないのですが…好きなエピソードなどを紹介したいと考えています。みなさまのご参加、お待ちしております❀

 

 

〈物語〉の北条義時⑴ ‟悲劇の主人公”としての義時―坪内逍遥「義時の最期」

 

〇はじめに

 2022年のNHK大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」。いよいよ本放送も間近に迫り、キャスト陣の扮装も公開され、関連イベントや関連書籍の出版なども盛り上がりを見せている。脚本が三谷幸喜氏ということに加え、豪華俳優陣がキャスティングされていることからも非常に注目が集まっている作品だ。

 しかし、その主人公である北条義時はあまり有名な歴史上の人物とは言えない。「北条義時って誰?政子の弟…?」「てか何した人?」という声もSNSでは見られる。そのため来年はどのように描かれるか楽しみではあるが、それでは今まで義時はどのように描かれてきたのだろうか。来年をより楽しむためにも、今までのフィクション作品、つまり〈物語〉における義時像をここで見ていきたいと思う。

 結論から言ってしまえば冷徹な策略家、というイメージが通底しているのだが、それぞれの作品を見ていけば何か面白いものもあるかもしれないので、焦らず見ていくことにする。

〇見ていく作品の概要について

 今回取り扱うのは、主に近代~現代までの小説や戯曲などに出て来る義時である。しかし、義時が主人公になった作品は非常に少ない。

 だが、義時の甥であり主君であった鎌倉幕府三代将軍・源実朝を取り扱った作品はある程度見られる。義時は実朝が将軍の時に執権に就任した人物であるし、実朝暗殺の黒幕とも思われていたことから実朝を取り扱った作品には必ずと言っていいほど登場する人物となっている。そこで、実朝を取り扱った作品を中心に、義時がどのように描かれているかを見ていきたいと思う。

 そのためほとんどが悪役として登場することになり、かなり偏ったものになってしまうことは否めない。頼朝や政子を取り扱った作品から見ればまた違うのかもしれないので、その辺りは誰かにやってほしい。

 

〇近代の義時ってどんな感じ

 まず近代において、義時はどう思われていたのだろうか。概要を先に述べると、「不忠」な「朝敵」としてかなり悪い印象を持たれていたと言える。

 そもそも、義時は近世において悪い印象を持たれていた。安田元久北条義時』において、近世に成立した「武士道」では主君に対する忠誠が重視されたが、その中で主家である源氏将軍家を三代で途絶えさせてしまい、その後に迎えた将軍に対し実権を奪ってしまった義時は強い批判の対象になったことを指摘している*1

 元々持たれていた悪い印象に加え、近代に入って更にそれは悪化する。その原因は、近代において皇国史観歴史観の主流になったためだ。この皇国史観天皇を国の中心とするものであり、そのため一介の武士でありながら承久の乱後に三上皇を配流した義時は「朝敵」として認識されるようになった。

 「不忠」という印象を持たれていたところに、「朝敵」という認識も加わり、近代では北条義時の株は大暴落していたと言える。義時はそんな強大な存在であり、「奸雄」「大悪人」として見られていた。そんなことを踏まえながら、いろいろな作品を見ていこうと思う。

 

坪内逍遥「鎌倉罪悪史」三部作

 まず最初に見ていくのが、小説家・劇作家である坪内逍遥の戯曲・「義時の最期*2」である。義時を主人公にした数少ない作品の一つだ。実朝の作品見るよって言いながら最初が義時主人公作品なのは締まらないが、せっかく主人公なのだし取り上げさせていただく。 

 この作品は「牧の方*3」「名残の星月夜*4」に続く作品で、「義時の最期」と合わせ「鎌倉罪悪史」三部作とされている。これらの三部作は話が繋がっているために、まず「牧の方」を見ていくことにしよう。

 「牧の方」は、題の通り義時の継母・牧の方を主人公にした戯曲である。この話は、史実において起こった牧氏の変が元になっている。逍遥自身の書いたあらすじ*5を参考にすると、物語は牧の方が我が子・政範を将軍にするため実朝や義時・政子らを倒そうと考えるところから始まる。しかし策を考える中で政範が従五位下に出世したので、牧の方はその嬉しさから謀反を起こすことをやめようとする。それに対し、牧の方に乗じて悪事を行おうとしていた御家人・稲毛重成らは牧の方をとどめる。

 そんな中で、義時は政範に近づく。義時は政範に、牧の方が謀叛を起こそうとしているのは政範がいるせいだと述べる。政範はそのことに嘆き苦しんだ末に、自らの命を絶ってしまう。

 政範の死を知った牧の方は非常に悲しむ。その牧の方に、稲毛らは政範は幕府の重臣である畠山重忠・重保親子によって殺されたと讒言する。悲しみに狂った牧の方は、夫である時政に言い、時政は稲毛らに畠山親子を殺させる。

 だが義時は、無実の畠山親子を殺したとして稲毛らを打ち取る。そのことを知らない牧の方は実朝を殺そうとするものの、実朝の容貌が政範に瓜二つであるために殺すことができない。そのうちに義時の兵に囲まれてしまい、牧の方が政範と同じく自らの命を絶つ場面で幕を下ろす。

 非常にざっくりまとめると、策略家として暗躍していると言える。加えて史実より多くの人を殺したことになっていることも指摘できよう(政範は実際には病死。牧の方は牧氏の変以降も生きている)

 続いて「名残の星月夜」だが、政子・実朝・公暁三者三様の悲劇を描いた作品である。この作品において義時はほとんど登場せず、代わりに活躍するのは義時の臣下・深見三郎次郎である。深見は公暁に、実朝を殺せば次の将軍になれるとそそのかす。その思惑通り公暁が実朝を暗殺した後に、公暁を深見が殺して終演となる。

 義時の姿は登場しないものの、牧の方が殺せなかった実朝を公暁を使って殺しているなど、やはり暗躍している。この二作品において、義時は策をめぐらせ多くの人を殺していると言える。

 

〇「義時の最期」あらすじ

 この二作品を経て、ついに義時が主役となるのが「義時の最期」である。この物語は、義時死後に起こった伊賀氏の変を元にしている。私もあまりこの事件には詳しくないので、説明によくわからないところがあれば伊賀氏の変のWikipediaなどを適当に参照してほしい(かなりオリジナル展開があるのであまり参考にならないかもしれないが)。本文の引用は『義時の最期(春陽堂大正7年7月)(義時の最期|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp))』によった。また適宜旧字を新字に改めた。

・一幕

 主人公・義時は病気に苦しむ日々が続いていた。そんな義時が病気の発作によって倒れている裏で、義時の妻の一人・伊賀の方とその親族たちは、伊賀の方の子・政村を義時死後の執権にしようとしていた。政村を執権にする策を考える中で、伊賀の方は巷で流行していたある歌に注目する。

方も方にさふらふよ。

時も時にさふらふよ。

 たんだ一字ちがうた!

 まァさとまァさ、まァさとまァさ。

 まざまざッと物の怪!

ただそのように策の話をしている途中に、床下に何者かがいることに気づく。しかし気づかれたことを察した侵入者がどこかへ逃げていく場面で、一幕は終わる。

・二幕(義時登場)

 伊賀の方たちの陰謀を聞いていたのは、義時の臣下であった深見三郎次郎の子・深見小三郎だった。小三郎は、意識を取り戻した義時に伊賀の方たちの陰謀を述べる。しかし義時は、それは小三郎が父は伊賀氏によって殺されたという話を信じ、伊賀氏を貶めるために言った讒言だとして聞き入れようとしない。義時はこのことをきっかけに、小三郎への態度を変える。

 小三郎を下がらせた後義時は座禅をするものの、小三郎の件から様々な疑念が広がり、うなされたような独り言を言い始める。

義時 あゝ!あゝ!此四十年来、心血を絞り、骨々を砕きみじいてまで、やつと築きあげて来た北条の地盤も、おれが目を瞑ると一しよに、忽ちわらわらと崩れてしまふのか?……あゝ千仞の功も!……あゝ!

 ト額に手を加えて暫くは無言で、苦悶してゐたが、やがて如何にも草臥れたらしく、嘆息して

あゝ!疲れた……あゝ、あゝ、おれも疲れた!あゝ、あゝ果しもない心づかひ!それだのに、一人として役に立つやつはない!一人として此苦みを知つて、片腕となつてくれる奴がない!

 この後には、実朝や政範などを思い出しては「南無文殊大菩薩!」と何度も唱える義時の様子が描かれる。ここからは、様々な人を殺してきた義時の疑心暗鬼になっている様子とその孤独が現れていると言える。

 そんなところに、伊賀の方が登場する。跡継ぎをどうするかという話をし始めた伊賀の方に対し、義時は「やい!おれが目を瞑るのを待つて、あの実雅を将軍とし、政村をば表に立てて、兄の光宗に執権の実を握らせ、自分は尼御台の役をしようといふ陰謀であらうが!」と強い怒りを見せる。強く問い詰める義時に対し、次第に伊賀の方の様子は変わり始める。

伊賀 政村をば跡目にと願ふのは……ゆめさら生さぬ仲の子を疎み、生みの子を世に立てたいなんぞといふ、さうしたさもしい惑心でない証拠は……

  ト苦しげに息を継ぎながら

此間からのわらはのわづらひ。……その原は……さる怖ろしい……死霊の祟り!

 (中略)

義時 死霊とは?……死霊とは、何の死霊?……

 (中略)

伊賀 浅ましや!悲しや!怨めしや!かけし年ごろの大望の、人の為に諜られて、うたかたの、跡もなく消えしだにも怨めしいに……何の科もない可愛し子をば、あの花のやうなわく子をば、人手にかけて、非業に失うたる其怨み!いつの世にかは忘らるべき魂魄永く此土に留まり……

  トだんだん言ふことが物すごくなると共に、伊賀の方の表情もそれにつれて変化し、とゞ、すつくと起つ。とれにて義時悚(ぞつ)とした思入。思はずたぢたぢとなる。ト伊賀の方は、又忽ちばたりと倒れ、如何にも苦しげに身を悶え、我手で胸元をおさへながら、声だけはやはり物すごい幽霊声にて

只一字のみ異なつたる、同じ呼び名の縁に牽かれ、無残に破れし前生の、その妄執を晴らさんため……

  トこゝまではしやがれたモノトナスな声で言つたが、又急に持前の伊賀の方の泣き声に戻って、苦しげに喘ぎながら

夜毎にわらはの夢枕に、あさましい姿を現し、政村と生れ換った政範に……此家の跡
を譲らばよし、若しそれをさへ拒むならば……

  ト苦しげに喘ぎつゝ言ひさして、又頻りに身悶えし、忽ち又前のしやがれ声に戻つて

もしそれをだに拒むならば、見よ見よ今に、おのれ怨めしい極重悪人!

  ト伊賀の方又すつくと立ち、義時をきつと睨みて

今に其報いを見せてくれん!まづおのれが後添ひの…此女めを!此女めを!これを見よ!
  ト伊賀の方又ばたりと倒れ、はげしく身悶えし、甃の上を転げ廻って苦む。義時我知らず其そばへ寄らうとする。此うち伊賀の方の小袖は脱げ落ちる。夏衣裳の肌薄なので、転げ廻るうちに、袖口、襟元のみだりがはしくなるにつれて、腕、胸元など折々あらはになる。ト一匹の蛇が二つの腕に巻き附いてゐるのが見える。さうしてそれが、突然鎌首を立てゝ義時に向ふ。義時はびつくりして、小声で

義時 あゝ!

  ト叫んで後へ退る。これと同時に、伊賀の力の頸にも一匹蛇が絡み附いてゐるのが目に附く。途端に、伊賀の方の裾からも、又小さい奴が一匹這ひ出し、義時の足元へ近寄る。で、義時はうろたへて避ける拍子に、それを踏む。トすぐに其足首に巻附く。これにて義時は、身悶えして、とゞ、そこへ卒倒する。

 伊賀の方は牧の方が乗り移ったという演技をして、政村に後を継がせるよう言う。しまいには義時の嫌いな蛇を使って脅迫したことによって、義時は卒倒してしまう。かなり演技派な伊賀の方と、泣きっ面に蜂ならぬ泣きっ面に蛇といった義時である。ここで二幕は終わる。

・三幕

 小三郎の助けによって意識を取り戻し寝所につくも、疲労した義時は眠りにつく。休息を求めるも、夢の中では配流した上皇や実朝、公暁らが登場する。続けて血まみれの政範の死体、狂った牧の方が登場し、うなされている義時は昔から仕えてきた女房・亘理に声をかけられて夢から覚めることになる。

 そんな亘理に「婆!物の報いとか、祟りとかいふことは……あるものかなう?」「おれが死んだ後は、……どうなるだらう?……此鎌倉は、どうなるだらう?」という弱気な台詞を投げかける義時は、痛々しさも感じる。

 一方で、寝所の陰では小三郎が殺気に満ちながらその様子を伺っていた。例の一件で義時を恨んでいた小三郎であったが、そこで義時の口から「次郎三郎は、実は、俺が殺させた」という言葉を聞いてしまう。父を殺したのは、主君の義時だったのだ。

 小三郎が聞いていることに気が付かない義時だったが、寝ようとするもまたうなされて眠ることはできない。「今になつて考えると……(と微かに喘ぎながら)あんまり酷いことをした。おれはあんまり……酷いことをした!」という亘理への台詞は今さらの懺悔ではあるのだが、それだけに哀れである。

 唯一の味方とも言える亘理に優しい言葉をかけられるものの、不安が消えない義時は女房たちを呼ぼうとする。

義時 婆!婆!
 ト事ありげに呼ぶ。
亘理 はいはい。
 ト急ぎ涙を隠し、あわてゝ、傍へ行く。
義時 (しやがれた声で、やゝ口早に) 右近も、藤内も、こゝへ呼んでおいてくれ。
亘理 はい。かしこまりました。
義時  (力ない声で)女でも、右近は、力がある。……武器にも長けてゐる。……早く呼んで来てくれ。
亘理 はいはい。
 ト起つて、すぐに落ち間へ降りる。
義時  まてまて!
亘理 はいはい。
 ト落ち間でかしこまる。
義時 すぐ戻つて来てくれ。(ト心細げな声で言つて)それまでは、あの女共を、爰へ呼んでおいてくれ。

亘理 はいはい。

 心細げな「すぐ戻つて来てくれ」という台詞には、義時の不安と恐怖、そして孤独が詰め込まれていると言える。暗躍する策略家としての義時はもうどこにもいない。義時の登場は、ここで終わる。

 場面は伊賀の方たちへと移る。策を進めようとする伊賀の方たちであったが、伊賀の方は自分たちの策が失敗するというお告げを聞いたことを述べる。そこへ女房から伊賀の方についていた人々が捕らえられ、我が子政村も敵(政子たち)の手に渡ったことを知らされる。

 そして別の女房から、義時が死んだという報を聞く。小三郎が刀で刺したためだった。それらの情報を聞いた伊賀の方は、目を閉じた後に、少し休むために寝所へと向かう。不審に思った女房たちと、この場にかけつけた政村が寝所に入ると、そこにあったのは自ら命を絶った伊賀の方の死体であった。女房たちと政村が死を嘆く場面で、「義時の最期」は幕を下ろす。

 

〇まとめ―‟悲劇の主人公”北条義時

 策略をめぐらせ、多くの人を殺し鎌倉幕府の頂点に上り詰めた義時。しかしその晩年は、誰も信じられず不安と恐怖に常に怯える日々だった。そして唯一信じられる人間がいない時に、かつて殺した臣下の子に殺される。孤独で哀れな最期だった。

 ただこの結末は、悲劇的でもあるが自業自得とも言える。哀れではあるのだが、それまでに尽くした悪事を見ると完全に擁護できるとは言い難いだろう。

 では作者である逍遥は、義時をどのように描こうとしていたのだろうか。逍遥は「牧の方」について述べる中でこのように言及している。

此の作は北条義時といふ奸雄といへば奸雄、えらい政治家といへばさうも言はれる一人物を一種風変りの悲劇の主人公にして其最期を書いてみたいと思ひたち、先づ其の段取に二編の悲劇を綴らうと企てたころの作です*6

 逍遥は、義時を「悲劇の主人公」として書こうとしていた。ただ「大悪人」とするのではなく、義時に悲劇性を見出したのは今から見てもなかなか珍しい視点だと言える。

 さらに「牧の方」「名残の星月夜」は、義時の死を書くための「段取」であったと述べている。つまりこれらの三部作は、義時の死を書くために制作したものと言えるだろう。

 では逍遥が義時の死を取り扱おうと思ったきっかけは何だろうか。逍遥は「北条義時の死は自然か、人為か?(『義時の最期』春陽堂大正7年7月)」という文章において、院政期~鎌倉初期にかけての「因縁果報の理」に興味を持ち、その「史的因果律」を具体化しようと考えていたことを述べている(本当は保元の乱あたりから書きたかったが断念したらしい)。ここからは、シェイクスピアのような歴史劇を書こうと思っていたことが伺える。そしてその因果の絡み合う歴史劇の最後を、義時の死にしようとしていた。雑にまとめると、因果応報って感じの歴史ドラマが書きたかったんだと思う。

 院政期~鎌倉初期にかけての壮絶な争い、その果てに頂点に立ったのは義時であったものの、その義時も自分の行いによって滅びる…という結末を考えていたのだろう。そのため、義時の死を取り扱おうと思ったのではないか。

 ではそこに、悲劇性を入れたのはなぜだろうか。その理由の一つには、近世の歴史劇への反発があると考える。「脚本「牧の方」の緒言*7」において、逍遥はこの時代の血塗られた歴史に興味を持ったことを述べると共に、それまでの演劇において牧の方を人間らしい情を持たない人物として扱っていることに不満を覚える。

予は彼の罪悪の絶頂期をもて人面獣横行の期と信ずる能はず。又、牧の方を以て、半獣的動物と見做る能はず。如何に社会は腐乱するも、如何に道義は地に堕つるも、尚人間には良能ありて、善悪邪正の分別の悉皆忘じ去らるゝ如きことは殆どあるまじきことなりと信ず。(中略)予は牧の方の罪悪は、此一見理解すべからざる罪悪の一種なるを認め、その経行の甚だ深遠にして複雑なるを思ふ。

 つまり悪人をただ一方的に悪人としてだけ書くことに反発していた。どうして逍遥がそう思ったのか?という疑問に対する回答はいろいろ考えられるのだが一旦置いておくとして、このことから、義時もただの悪人としなかったのではないかと考える。

 因果が巡り、血にまみれた争いの渦にあった鎌倉時代。そこにいたのは確かに親族をも殺す「悪人」ばかりだったが、彼らにも生身の感情はあったのだ、というのが近世演劇への反発やシェイクスピアの影響からきた逍遥の考えだったのではないだろうか。そして生まれたのが、「一種風変りの悲劇の主人公」北条義時だったのだろう。

 しかしこの「悲劇の主人公」義時という視点は特に注目もされず、全く一般的にならなかった。この「義時の最期」は今日に至るまで一度しか上演されていない*8ことが挙げられるだろう。そのためか知名度が低い。この空前絶後北条義時ブームの中でも全然注目されていない(気がする)。そういった意味でも、「義時の最期」は「悲劇」だと言えるだろう。

 というかそもそも上演しようとしても色々とややこしくて説明しづらい(二作品を見ないと話がわからないし、この時代のことをある程度知っていないと理解が難しい気がする)。逍遥も苦心したのか、「義時の最期」の始めは登場人物や状況の説明が5ページ半に渡ってト書きで説明されている。長くない?

 そんなこんなで義時は「悲劇の主人公」にはならず、〈物語〉においても「大悪人」として突き進んでいくことになる。流石に逍遥も草場の陰でちょっと泣いていそうである。

 

 

【参考文献】

『牧の方』(春陽堂明治30年5月)牧の方|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp)

『名残の星月夜 再販』(春陽堂大正7年1月)名残の星月夜 再版|書誌詳細|国立国会図書館オンライン (ndl.go.jp)

本間久雄『近代作家研究叢書126 坪内逍遥』(日本図書センター、平成5年1月)

福田清人小林芳仁坪内逍遥 人と作品』(清水書院、昭和44年6月)

高木斐川『名著鑑賞近世国民文学 上巻』(国民協会出版部、昭和17年) 

 

*1:安田元久北条義時』(吉川弘文館昭和36年12月)

*2:春陽堂大正7年7月

*3:早稲田文学」、明治29年1月~30年3月まで連載

*4:中央公論」、大正6年6月

*5:「「牧の方」について」(『文芸瑣談』春陽堂明治40年5月)

*6:「「牧の方」作意のあらまし」(「歌舞伎」明治38年5月)

*7:『文学その折々』春陽堂明治29年9月

*8:昭和14年に一度上演されたのみ。独立行政法人日本芸術文化振興会文化デジタルライブラリーより ブロマイド情報詳細|文化デジタルライブラリー (jac.go.jp)

合流大火災のその中の人、現し心あらむや。――堀田善衛『方丈記私記』感想

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 

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 「方丈記」は、このような文章から始まる。所謂「中世の無常観」みたいなものを体現した文章と言えるだろう。鴨川に近い神社の禰宜の子として生まれた長明が、「河」で「無常」を表現しているのはなかなかに面白いと思う。

 

さて、今回取り扱う堀田善衛方丈記私記』はこのような文章から始まる。

私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明方丈記」の鑑賞でも、また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。

  著者である堀田は、「方丈記」に寄せて自分の経験を語ろうとしている。何故大正時代に生まれた彼が、そのように語ることを選んだのだろうか。その訳は、「一 その中の人、現し心あらむや」で語られる。

 堀田が「方丈記」を意識し始めた日は明確であった。1945年3月10日である。

三月十日  九日二二時三〇分警戒警報発令、十日〇時一五分空襲警報発令、それから約二時間半に亘つて空襲が行はれた。来襲機はB29一五〇機と数へられ、単機或は数機づつに分散して低空から波状絨毯爆撃を行つた為、多数の火災が発生して、烈風により合流火災となり東京の約四割を焼き甚大な被害を生じた。

 堀田が引用した『東京都戦災史』には、このように記された日だった。

 この日、堀田は東京・洗足池にある友人のK君の家でサイレンを聞いた。そろそろ寝ようと思っていたころであったが、この辺りにも焼夷弾が投下されたら一溜りもない、ということで二人で避難することになる。幸か不幸か、堀田は空襲や火災等の被害がほとんどなかった安全地帯に避難したために、壮絶な光景を見ることとなる。

真赤な夜空に、その広範な合流大火災の火に映えて、下腹を銀色に光らせた、空中の巨大な魚類にも似たB29機は、くりかえしまきかえし、超低空を、たちのぼる火焔の只中へとゆっくりと泳ぎ込んで行くかに見上げられ、終始私は、火のなかを泳ぐ鮫か鱶のたぐいの巨魚類を連想していたものであった。憎しみの感情などは、すでにまったくなかった。

 たまに火のなかに墜落するものがあっても、喜びの感情も、コン畜生メという気持ちも、私にはまったくなかった。感情の、一種の真空状態、がそこにあった。 

 初読の際に、私は「真空状態」というところに生々しさを感じた。夜空を海と例えた前の文章がある分、余計にそれを感じたのだろう。圧倒的な現実に対し、言葉を失ってしまう人は実際多かったのだろうと思わされた。

 

 しかし、その「真空状態」は当然ながら長くは続かない。巨大な火焔地帯となった深川のあたりには、巻き込まれた多くの人がいる。「親しい女」も深川に住んでいた。その深川が燃える様子を、堀田はただ見ていた。

 そういうときに、真赤な夜空に、閃くようにして私の脳裡に浮んで来た一つのことばが、

  火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛(ぶ)が如くして一二町を越えつゝ移りゆく。その中の人、現し心あらむや。

  というものであった。

 その中の人、現し心あらむや。生きた心地がすまい、などと言ってみたところでどうにもなるものではない。深川のあの女は、髪ふりみだして四方八方の火のなかを逃げまわり、

 或いは煙に咽びて倒れ伏し、或は焔のまぐれてたちまちに死ぬ。 

 ということになっているにきまっているものであろうけれども、本所深川方面であるにきまっている大火焔のなかに女の顔を思い浮かべてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ、それはもう身動きもならぬほどに、人間は他の人間、それが如何に愛している存在であろうとも、他の人間の不幸についてなんの責任もとれぬ存在物であると痛感したことであった。それが火に焼かれて黒焦げとなり、半ば炭化して死ぬとしても、死ぬのは、その他者であって自分ではないという事実は、如何にしても動かないのである。ということになれば、そうして深く黙したまま果てることが出来ないで、人として何かを言うとしたら、やはり、その中の人、現し心あらむや、とでも言うよりほかに言いようというものもないものであるかもしれない……。(下線は引用者による)

  空襲で燃える東京を見たとき、堀田が思い出したのは「方丈記」に書かれた安元の大火の一節だった。

私はこの文章を読んだ時、とても心を掴まれた。 

 戦時下において、古典というより文学は戦争遂行のための一つの道具だった。私の好きな歌人源実朝も、例に漏れず朝廷に尽くした「勤皇歌人」として「愛国百人一首」に歌が選出されている。後に堀田は「日本の伝統のみやびを強制」されたと述べているが、「日本」や「伝統」というものを押し付けられ、果てはそのために死ななくてはならなかったのがこの時代であったのだろう。そんな時代に、強制されるのではなく実際の人間の生活に古典が現れていたことは、非常に衝撃的だった。

 しかし、そのことに対しただ感動することにはなれなかった。堀田も「一途な感動ということではなくて、私に、解決しがたい、度合いきびしい困惑、あるいは迷惑の感をもたらした」と述べている。凄惨な火災を映した古典が、そこに広がるあの騒乱と無常の世界が、今目の前に蘇ったのである。

 実際にそれを前にして、何ができようか。あの世界が蘇ったとて、何か前向きな気持ちになれるものだろうか。この先はあの中世のような時代になる!と強い口調で皆に警鐘を鳴らせばよいのだろうか。あるのは、「ほかに言いようというものもないものであるかもしれない……。」という、納得に似た諦めと絶望なのではないかと感じられた。

 

(そして後に、「無常観の政治化」―――昔の仏教者たちに直接的な責任は無いのだが、「方丈記」などに書かれた日本の伝統的な「無常観」が、戦争などの「政治がもたらした災殃に際して、支配者の側によっても、また災殃をもたらされた人民の側にしても、そのもって行きどころのない尻ぬぐいに、まことにフルに活用されて来た」という考察を「三 羽なければ、空をも飛ぶべからず」にて述べている。そのように考えるようになったきっかけもなかなか衝撃的なので、是非ご覧になられたし。)

 

ふと頭に飛び込んで来た方丈記の一節を口の端に浮べてみ、その中の人現し心あらむや、何を言ってやがる、などとぶつぶつと独語をしていて、しかし、卒然としてその節の全文を思い浮べてみると、それが都市に起る大火災についての、意外に(といったら鴨長明氏に失礼なことになるが、と思いながら)――意外に精確にして徹底的な観察に基づいた、事実認識においてもプラグマティクなまでに卓抜な文章、ルポルタージュとしてもきわめて傑出したものであることに、思いあたったのであった。

 この出来事をきっかけに、堀田は遠い中世に書かれたルポルタージュ方丈記」を良くも悪くも強く意識するようになる。雑にまとめると、「一 その中の人、現し心あらむや」はこのように堀田が空襲の中で「方丈記」を再発見するまでの流れが書かれているのである。

 

 私がこの第一章が非常に印象的だった。その理由の一つとして、「方丈記」を読んだ際に、ここで中心的に取り上げられている火災の記述に衝撃を受けたからだ。

去安元三年四月廿八日かとよ。風烈しく吹きて、静かならざりし夜、戌の時許、都の東南より火出で来て、西北に至る。はてには朱雀門大極殿・大学寮・民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。火もとは、樋口富の小路とかや、舞人を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇をひろげたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙に咽び、近きあたりはひたすら焔ほを地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛(ぶ)が如くして一二町を越えつゝ移りゆく。その中の人、現し心あらむや。或は煙に咽びて倒れ伏し、或は焔にまぐれてたちまちに死ぬ。或は身ひとつ、からうじて逃るゝも、資財を取(り)出(づ)るに及ばず、七珍万宝さながら灰燼となりにき。その費え、いくそばくぞ。そのたび、公卿の家十六焼けたり。ましてその外、数へ知るに及ばず。惣て都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女死ぬるもの数十人、馬・牛のたぐひ辺際を不知。

 「風が火炎を猛烈な勢いで地面に吹き付けた」「空に飛んだ灰に炎が映って空が真っ赤になった」「風に乗って火炎が引きちぎられたように飛んでいった」「ある人は煙でむせて倒れ伏し、ある人は焔によって気絶して死んだ」…安元の大火というただの記録ではなく、そこには生々しい火災の現場が描かれていた。

 同時期に書かれた九条兼実の日記である「玉葉」においては、「焔が閑院の方に流れて行って天皇の身の上が心配だ」「大学寮は燃えたが孔子の御影は取り出し奉った」などと、貴族の視点から見た火災(堀田はかなり批判している)が描かれている。貴族の日記だから当たり前だし、貴族も貴族なりの苦労があるのだが。

 それと比較すると、「方丈記」は火が広がる様子やそれに逃げ惑う民衆を高い表現力で冷静に記している。堀田も言うように、長明は実際にこの現場を見に行った、或いは見ていたのではないかとも感じられる。京の三分の一が焼失したという壮絶な火災の現実を表現したこの文は、何度読んでも圧倒される。この表現であったからこそ、私は感銘を受けたのだと思うし、堀田の中で1945年の空襲と1177年の大火が重なったのだと思う。それが、彼にとって良い結果をもたらしたのかは別として。

この印象的な第一章を入口として、「方丈記」と一人の青年の戦争体験が入り混じるエッセイは進んでいくのである。

 

  この後もめっちゃ面白いというか印象的だったのだがとりあえずここまで。長くなりそうだし。

 「日本」や「伝統」というものを押し付けられ、果てはそのために死ななくてはならなかった時代に青春を過ごした青年が、自分の経験を元にして古典と向き合う。「方丈記私記」は、そんなエッセイだと思います。50年ほど前の本なのでもちろん考えや歴史観が古いところもありますが、この時代の彼らがどう古典と向き合ったのか?ということは、知っておいて損は無いと思います。

気になった方は是非読んでみてください。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

参考:堀田善衛方丈記私記』

   武田友宏『方丈記(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』

 

初老の歌人と学生服を着た将軍の話――川田順「実朝に逢ふ」

 川田順「実朝に逢ふ」 

 山海居二階の客間に、床の間をうしろにして、右大臣実朝公が行儀正しく座つてゐられる。衣冠束帯でなく、紺地・詰襟・半ズボンの学生服を着用。お顔を拝すると、双頬さくら色を呈して、眼はやや腫れぼつたく、口もとは尋常で、まだ十二三歳の坊ちやんと見うけられた。陪賓の斎藤茂吉は、いつもになく、和服の着流しで、公の向つて左手に、これも極めて行儀よく端座してゐる。主人の僕は羽織袴で、公に真向つて胡坐かいてゐる。今一人、僕の後方に、黒いかたまりのやうになつて、うづくまつてゐる男がある。それはどうも、松村英一らしかつた。如何なる風の吹きまはしで実朝公が山海居に御入来あつたのか、どうもわかりかねる。僕から御招待申上げた覚えはない。公の方から勝手に気まぐれで飛び込まれたものらしい。「幕下と同じ時代の歌人の中では、何人(たれ)を一番御尊敬になりましたか。定家卿でございますか。」と僕は伺ひを立てた。公は否定する如く沈黙してゐられたが、暫くして、「サ行の男。」と返事せられた。「西行法師でございますか。」と反問すると、軽くうなづかれた。僕は更に語を継いで、「東鑑を拝見しますと、長沼宗政とか云う御家来が、或る時幕下に対して、当代は歌鞠を以て業となし武芸は廃れたるに似たり云々と、眼を怒らして諫言した由書いてありますが、本当でございますか。」「…………」「宗政は鎌倉武士らしい忠義者、乍併もの事の認識が足りません。金槐集と征夷大将軍とどちらが幕下にとつて大切なのでせう。幕下の御父さま以來、日本に征夷大将軍は幾人あったか知れません。徳川家だけでも十五人ございました。宗政は認識不足です。」ここで僕の夢はちよいと中断されたらしい。夢か現かわからなくなつた。暫くすると、再び夢が継続しはじめた。「幕下が初めて歌をお作りになつたのは、何歳頃の事でございましたか。」実朝公は座を立たれた。座敷の北側の壁に沿つて音なく歩かれながら、「十八歳」と返事された。「御記憶違いでせう。十四五歳からでございましたらう。」公は黙々として玄関に出られた。式台に腰かけて靴を穿かうとしてゐられる。半ズボンと靴下の間から、膝小僧が寒さうに覗いてゐる。「まだお伺ひ申上げたいことが三つほどあるのです。いづれ近々に私の方から推参してお伺いしませうが、その時には幕下は正直に御返事下さらねばなりません。その御返事は日本の文学史に重大な結果をもたらすのでございますから。」僕はかう申上げながら公の御手を握つた。ちひさな御手は氷のやうに冷たかつた。僕は身ぶるひしながら眼をさました。

 朝飯をたべながら老妻に話しかけた。「今日の夜明け方、実朝公におめにかかつた。」「さうですか。」「紺地・詰襟・半ズボンの学生服を着て居られたので、ちよいと面喰らつた。」「それぢや実朝さんではありませんよ。」「だれだい。」「森村の武ちやんですよ。」と老妻は笑つた。なるほど、さう云へば昨日の正午頃に、その森村武雄と云ふ小学生が制服姿で拙宅に見えた。近日中に東京へ移転するといふので、告別に来たのだ。彼は僕の姪の長男である。

 

初出:「短歌研究 第六巻五月號」(改造社、1937年5月)

底本:川田順『偶然録』(湯川弘文社、1942年11月)

 ※旧字は新字に改めました。

 

補足

・乍併:しかしながら。

川田順(1882~1966)

歌人漢文学者川田剛 (甕江)の子。実業界でも活躍。歌集に『伎芸天』『山海経』などがある。古典研究も多く行っており、『全註金槐和歌集』『源実朝 歴代歌人研究 第8巻』など実朝に関する著作もある。

斎藤茂吉(1882~1953)

歌人。雑誌「馬酔木」「アララギ」において中心的な歌人であった。医師としても活躍。歌集に『赤光』『あらたま』がある。約30年に渡り実朝の研究を行っており、川田との交流もあった。

・松村英一(1889~1981)

歌人。窪田空穂に師事し、空穂創刊の『国民文学』を継承し主宰となる。「短歌雑誌」刊行にも参画した。歌集に『露原』『樹氷氷壁』など。『源実朝名歌評釈 和歌評釈選集』を出版している。

・長沼宗政とか云う御家来が…

『吾妻鑑』建暦三年九月大廿六日の記事による。実朝が謀叛の疑いがある者を捕らえるよう長沼宗政に命じたが、宗政はその者の首を持参した。そのため実朝は嘆いたものの、長政は頼朝の時と比較した際に「當代は、哥鞠を以て業と爲し、武藝は廢るに似て、女性を以て宗と爲し、勇士之無きが如し(実朝は歌や蹴鞠を業として、武芸は廃れているようだ。女性を重んじて、勇士はいないかのようだ。)」と実朝を批判している。

・御記憶違いでしょう。…

『吾妻鑑』において、実朝が和歌を詠んだ記録の一番初めは元久二年四月十二日の記事であり、実朝十四歳の時である。つまり実朝の返答は間違っている。

 

蛇足

 とても好きな随筆でしたので補足を入れて投稿しました。問題や疑問点等ございましたら教えていただきますと幸いです…

初出から『山海居閑語』『偶然録』と二つの随筆集に収録されているため、川田自身も結構この話は気に入っているのかなと思いました。ちなみに初出だと「宗政のやうな奴を、忠義面した莫迦野郎と申すのでございます。」「宗政の如き莫迦野郎。」と宗政に対してかなり強くあたっています。『山海居閑語』『随筆録』においても削除されており、宗政の名前を間違えていたりもしたので今回は『随筆録』を底本としました。興味がある方は是非調べてみてください。

この文の中で好きなのはやっぱり実朝です。学生服を着たかわいらしい姿で登場しますが、「僕」からの質問に答えなかったり違う答えを言われます。そんな言動に加え、その外見も妻に親戚の子であると言われてしまいます。こちらの質問にもきちんと答えず、姿も定まったものではない…というこちらを振り回してくる実朝の様子が、自分の思う実朝像にもあてはまる気がしました。

また川田はこの随筆を書いた翌年に実朝に関する本を2冊発刊しているため、特に実朝を研究していた時期だったのではないかと思うのですが、研究の中での苦労がにじみ出ているようにも感じられます。三十一文字を解釈するのって難しいですし、「吾妻鑑」とかも信頼できたりできなかったりしますからね…。想像ですが、質問に答えてくれない実朝からは研究の中で浮かんだ疑問が解決できない…史料は何も答えてくれない…という思いが投影されているように感じました。わ、わかる…

 以上のようなことから、どこかつかみどころがない実朝の姿からオチまで好きな作品であるためこの記事を制作しました。これをきっかけに、多くの人に読んでいただけたら幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

参考文献

・「短歌研究 第六巻五月號」(改造社、1937年5月)

川田順『山海居閑語』(人文書院、1938年4月)

川田順『偶然録』(湯川弘文社、1942年11月)

・鎌田五郎『源実朝の作家論的研究』(風間書房、1974年5月)

五味文彦本郷和人編『現代語訳 吾妻鑑7 頼家と実朝』(吉川弘文館、2009年11月)

デジタル大辞泉

・日本人名大辞典(講談社、2001年12月)

吾妻鏡入門目次 (fc2.com)