谷川俊太郎『二十億光年の孤独』抜粋

 

 最近読んでいる吉本隆明の『詩の力』に、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』が引用されていた。タイトルから見て面白そうだな、谷川俊太郎の名前は聞いたことあるけどちゃんと著作読んでないな、と思っていたのですぐに借りて読んだのだが、これがとても面白かった。これが処女作なのすごすぎる。

 なので特に印象的だった作品を引用していこうと思う。作者には申し訳ないが、一部のみの引用もある。個人の感想も記しておく。ゆるせ…。引用元は全て『二十億光年の孤独(集英社文庫、2008年2月)』。

 

大志

 

レコードを三枚とばし

僕は時を支配する

 

フィナーレからラールゴへ

僕は時に逆行する

 

今度は第三面の途中から

僕はB・B・Cも支配する

 

少年よ 大志を抱け

 

音楽の再生を時の支配と表現するの、良い。録音再生を初めて聴いた人間は、めちゃくちゃ驚いただろうなとも思った。

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞えるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

『二十億光年の孤独』の中では一番好きな作品。美しくて寂しくて静かで良い。

 

はる

 

(前略)

はるのひととき

わたしはかみさまと

しずかなはなしをした

 

「はる」より一部抜粋。この数行だけで様々な作品が生まれそう。「かみさま」に何かを祈るのではなく、「しずかなはなし」なのも良い。この作品は全文ひらがなで、春の淡くふわふわとした感じが伝わってくる。

 

灰色の舞台

 

早朝の街は雲量約九

都市を悪夢の中に忘れてきた

(後略)

 

「灰色の舞台」より一部抜粋。賑やかで忙しい昼間の街より、静かで誰もいない早朝の街の方が好きなので「都市を悪夢の中に忘れてきた」という表現が特に印象的だった。

 

五月の無智な街で

 

(前略)

スナップ・ショットたちが流れてゆく

とりどりの夢をおたがい忘れ合いながら

小さな島国のみた そして又みるかもしれない 悪い夢 良い夢――

仕方なく僕はひとり神話を空想する

〈一杯のクリイム・ソオダをストロウでかき廻して国が出来た 全く新しい 全くすき透った国が出来た〉

 

 「スナップ・ショットたちが流れてゆく」という表現が、絶妙な距離感があって良い。最初見た時はSNS、特にInstagramで画像がどんどん流れてくる様子を想像したが、所謂そういった「タイムライン」みたいなのがない時代にこの表現はなかなか面白いなあと思った。

 透き通ったクリイム・ソオダの国は緑の夜空なのだろうか。綺麗だが「五月の無智な街で」というタイトルの通り、甘ったるさとか脆さも含んだ表現なんだろうと思う。

 

 今のところ特に印象に残ったのはこんな感じ。身近なモチーフが出てくるけど綺麗で、不思議な感じがする。単語の組み合わせ方や外し方が絶妙なんだろうな。ただ一部抜粋だし、縦書きと横書きだと雰囲気や余白が全く違うので読んだ時のイメージをそのまま持ってこれているとはあまり思えていない。なので気になった人は読んでみてね~。

 

 谷川俊太郎本人の作品じゃないので引用するか迷ったが、序代わりに掲載されていた三好達治の詩もとてもよかったので、こちらを引用して終わりとする。

 

はるかな国から ――序にかへて

 

この若者は
意󠄁外に遠󠄁くからやってきた
してその遠󠄁いどこやらから
彼は昨日立つてきた
十年よりさらにながい
一日を彼は旅してきた
千里の靴󠄁を借りもせず
彼の踵で踏んできた路のりを何ではからう
またその曆を何ではからう
けれども思へ
霜のきびしい冬󠄀の朝󠄁
突忽と微笑をたたへて
我らに来るものがある
この若者のノートから滑り落ちる星でもあらうか
ああかの水仙花󠄁は……
薰りも寒󠄁くほろにがく
風にもゆらぐ孤独をささへて
誇りかにつつましく
折から彼はやつてきた
一九五一年
穴󠄁ぼこだらけの東京に
若者らしく哀切に
悲哀に於て快活に
――げに快活に思ひあまつた嘆息に
ときに嚏を放つのだこの若者は
ああこの若者は
冬󠄀のさなかに長らく待たれたものとして
突忽とはるかな国からやつてきた