初めての祇園祭

 2023年の夏は週一で京都に行っていた。

 趣味でではない。仕事でいろいろあって、週一で関東から新幹線で上洛するというスタイルが7月から9月まで続いたのである。

 「出張で京都へ」という話をすると、たいてい「いいなあ」「素敵ですね」と言われる。私も最初のころまではそう思っていた。

 年一で京都へ旅行している私、この私が「もういいです」となった理由は単純である。仕事だからだ。たとえ京都にいようが、きっちり8時間労働しなければならないのである。9時から18時(+α)まで、しっかりと。

 そうなると、当たり前だが観光する時間はそう取れはしない。そもそも私が京都に行って訪れる場所は、だいたい寺社仏閣なのだから、朝早く開いて夕方にはもう閉まっている。夜に一人で行くのも、危ないからなるべくやりたくない。

 あと日程の調整もなかなかできない。仕事だから。責任者である先輩に一応「京都に行く日、月曜か金曜にしてください」と言ってみたものの、あまりその願いは叶わなかった。先輩も同じ気持ちだったのに…。そのため京都行った次の日は関東に戻って朝から仕事、というスケジュールをよくやっていた。遊ぶ暇、無さすぎる。週二で上洛とかも何回かあった。めちゃくちゃである。

 そんなめちゃくちゃ案件だったが、まあ良いことはあった。そのひとつが、祇園祭を生まれて初めて見ることができたことである。

 とある7月の金曜日、時間外労働を強いられ、ヘロヘロで京都駅に帰っている時のこと。疲れたし遅いしもう自腹で京都に泊まろうかな~笑 金曜日だしな~笑とかぬかしていたら、先輩が「遅いしいいよ、ちゃんとこっちから言って会社から金出すよ」と言ってくれたのである。

 その言葉を受けて京都駅に降り立った私の、有頂天たるや。私がディズニープリンセスだったら、京都駅に着いた瞬間に仕事着は可愛らしいドレスに変わり、京都タワーは激しく愉快に点滅し、鴨川の鴨は私を祝福する歌を歌っていただろう。よくスキップして歌も歌わずに、その日のホテルにチェックインしに行けたと思う。テキトーにトートバッグに財布やらを詰め、夜の京都に繰り出した。

 祇園祭に関しては「7月の間ずっとやってて、なんかいろんな種類の大きい鉾がぞろぞろでてくる」といった知識しかなかった。そのため、まず驚いたのが、大きい鉾の隣を車がビュンビュン走っていることである。私のイメージしていた「お囃子鳴らして道路をぞろぞろ進んでいく」というのは、どうやら特定の日だけらしく、道路に止まって雅なお囃子を鳴らしている横で車は普通に行き交っていた。いくら京都と言えど駅にも近い道路でそんなずっと交通規制やるのも大変そうだしなあ…と思ったが、なかなか面白い光景だった。

 そしてもうひとつ発見だったのが、大きい鉾はそれぞれの町ごとのものである、ということだった。てっきり全部どこかの神社の持ち物なのかなあ(1列でぞろぞろでていたため)と考えていたのだが、そうではなく町内会の人々が管理・運営(?)しているものだったのである。そういえば地元で行われていた祭の山車は、各地域の人々のものだったなあ…と昔の記憶が蘇った。そのため、あっちこっちの道路からお囃子が聞こえてくるし、町内会の出店に「ちまきいかがですかー」とやらされている感満載のちょっとけだるげな若者がいたのも趣深かった。きっと毎年親族とかのせいで半強制的に参加することになっているんだろうな…

 そんなちょっとした無秩序さを感じた帰り際、「お囃子を聴くと夏って感じがするわあ」「〇〇町の昔のお囃子は…」みたいな話が耳に入って来る。祇園祭は、そのスケールこそは大きいものの、今でも京都という地に根付いたお祭りなんだなあ…。というか、お祭りってこういうものだよなあ、と今更ながら実感した。

 近頃、京都はいかにも「観光地!」という感じでどんどん整備されているように感じる。もちろんさまざまな人が訪れるようになることは間違いなく良いことなのだが、個人的には若干の近寄りがたさも感じていた。けれども、この祇園祭を通じて親密に…仲良し…にはなかなかなれていない…が、「そういうところもあるんだねえ」と思えた、そんな夜だった。